白浜民報1215号 2011年3月6日発行
安田議員の議会活動報告
住まいが安全快適になるだけでなく、
地域全体を元気にする
「住宅リフォーム助成」を、
南房総市でも
安田議員:住宅リフォーム助成は、
市民が住宅のリフォームを行ったばあいに
費用の一部を自治体が助成することで、
住宅の改修を容易にし地元産業の振興をはかるものです。
昨年10月末時点で全国175自治体で実施されています。
8ヶ月で2400件の改修・・地域に金が回り働く場も増えた
先進事例として人口約6万人弱の岩手県宮古市のケースを紹介します。
昨年4月から20万円以上の住宅改修に一律10万円を助成しています。
5千万円を当初予算化したが申し込みが多く、
3億5千万円まで増額しています。
住宅の長寿命化を目的として、
壁・屋根・障子・畳・ふすま・タイルなども助成対象に加えています。
また太陽光発電や耐震化工事にも上乗せ出来るとのことです。
昨年11月時点で、申請件数は2397件になり、
住宅所有者の6人に一人が申し込んだそうです。
平均工事費は45万円、申請した工事費総額は10億6100万円になります。
建設業以外にも飲食店クリーニング店の仕事も増え、
地域経済が活性化していると聞きます。
有効求人倍率も、建設業では0.17から0.32に増え、
地域の雇用も生み出しています。
八潮市でも
もう一つ紹介します。
埼玉県八潮市では、
10万から20万円未満の市内業者が行う改修増築工事の半額、
20万以上の場合一律10万円を助成しています。
タタミ・クロスの張り替え・建具・断熱サッシ等の
内装工事も新たな対象になりました。
昨年12月25日から受付を開始し、3週間で約300件の申し込みがあり、
3000万円の予算が一杯になりました。
1億円を超える受注があり、
12月議会でさらに2000万円予算を増やしました。
今年1月13日から第2回の受付を開始したところ、
初日だけで145件の申請あったとのことです。
さて、千葉県内では
いすみ市が昨年4月から、住宅改修希望者に対し
20万円を上限に工事費用の1割を助成しています。
3200万円の予算を組んだところ、3億7500万円の仕事があったそうです。
県内では今年4月ら6市町村が、住宅リフォーム助成を実施の予定です。
大多喜町では昨年12月、
過疎地域自立促進計画に改修助成事業を盛り込んでいます。
鴨川市では30万円の上限で、20万以上の工事費用の1割を助成する予定です。
地元業者への経済波及効果も期待できるので、
南房総市でも国の交付金事業などを活用して
、住宅リフォーム助成事業を始める考えはありませんか。
市 長:市では21年度から、
定住促進と地域経済活性化をはかるために、
市内に優良な住宅を新築した人に住宅取得奨励事業を実施しています
市内事業者への発注割合も高く
地域経済への活性化に大きく貢献していると考えます。
来年度には、40歳未満の人に特別加算を実施の予定です。
おたずねの住宅リフォーム助成事業については、
県内の他市町村での実施状況を参考にした中で、
今後検討して参りたい。
安田議員:市で行っている「住宅取得奨励事業」について、
実施して2年になりますが、実績はどうなっていますか。
部 長:21年22年併せて、
転入者で市内業者が建築したものが12件で720万円、
転入者で市外業者が21件で840万円。
市内居住者で市内業者建築が54件で2700万円、
市内居住者で市外業者が建築したものが21件で630万円。
2年間の合計は108件でその金額は4890万です。
耐震診断されたものの建て替え件数は、ゼロです。
安田議員:先ほど紹介した宮古市のように、
業者による代理申請や各種申請が
市役所内での確認で済むようにしていることが、
申込者を増やして居ると思われます。
また、その事業で活用できる範囲を拡げることで
使い勝手が良くなると思いますがどうですか。
部 長:リフォーム事業ですが、
市長が今後検討していくとお答えしたとおり、
今のこの新築関係を主としてやりたいと思っています。
今申された件につては、いろんなところから情報を収集する中で、
今後検討勉強をさせていただきたいと思います。
安田議員:国土交通省の実態調査では、
一件あたり工事実施額は平均301万円、
増築が777万円、
改築が1762万円、
リフォーム等が184万となっています。
リフォームの内容は屋根・外壁などの塗り替えがもっとも多く、
次いで内装模様替え、浴室の設備改善の順になっています。
住宅エコポイントと併せて実施している自治体も多いので、
南房総市でもぜひ実施されたい。
白浜でも戦争があった
「銃後の守り」 三 井上忠蔵
開戦後一年もすると、友達同士の会話の中には
「よし、大人になったら陸軍大将になるぞ。海軍大将になるぞ」と
乃木大将や東郷元帥を夢見た会話で意気揚々としていたものだったが、
さすがに九軍神や爆弾三勇士のように
「爆弾を抱えて敵に突っ込むぞ」
といった会話はなかったように思う。
やはり、「死ぬのは怖い」という恐怖心だけは子供心にあったのだろう。
戦争が始まって、小学校が国民学校と呼び名が変わった。
日本国民であることをしっかりと意識づける、
もっとも重要な一面だったと思われる。
何しろ日本人は「神の国」の国民であり、
アメリカ人、イギリス人は「米英鬼畜」だと言って騒ぎ、
そのことに人々は何の疑いも持たずに、その気になっていたのだから、
なにをか言わんやだ。
たとえそんな時代の中でも、
江戸時代には黒船に驚き、近代化を急いでアメリカ、イギリスから学んだ
明治政府のあたふたとした努力を知る日本人も数多くいたわけで、
さらには「青い目をしたお人形は・・・」などと歌っていた人たちは、
どんな思いで「米英鬼畜」を処理していたのだろうか。 
昭和2年、日米友好を願って米国から日本全国の小学校に贈られた
「青い目のお人形」は、
国の命令で焼かれ壊された。
安房では館山富浦鴨川に3体が現存する。

